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下田一仁のWEBコラム(作成中)

プロフィール

この度、パチンコ業界と共にその歴史を刻まれた下田一仁氏に無理にお願いしまして、そのお話を伺う機会がありました。ここでは、そのご自身の波乱に満ちた経験談と、近年の業界動向など、貴重なそのお話をコラムとしてご紹介します。取材やその掲載について、強くお願いしたところではありますが、ご了承いただきました氏に、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

文責:下田一仁
取材:柊
協力:Zer0

この度は無理なお願いを聞いていただきましてありがとうございます。業界と共に歩んで来られた下田さんに、貴重な体験談や最近のパチンコ業界についてのお話を伺えればと思います。早速ですが、ご自身についてのお話を聞かせてください。業界の人にとっては、パチンコやパチスロの仕組みに精通している、解析師であり改造も手がける裏ロム師であることは有名ですね。TVメディアにも何度か登場されているので、お顔を拝見している方も多いと思います。表も裏も知り尽くした人として、雲の上の人というイメージがありますが。
下田 いやいや、そんな大したモンじゃないですよ。継続は力なりという言葉もあるが、そんなご大層なものじゃないですわな。ただ同じ場所を長く歩いとったら、それなりに足跡が出来ていたというだけ。ワシも、もう長いことこの業界におりますもんでな。一般の人には映画やマンガの「ゴト師株式会社」の原作者といった方が通りが良いかもしれんしの。世話になった人も沢山いる。人のしがらみも出来ちまう。雑誌なんかに書けないことも沢山ある。
是非、そんなお話を伺えれば、と思っています。(笑)−先ずご自身の経歴なのですが、パチンコ業界に足を踏み入れた経緯についてお話を聞かせてください。最近は安易に打ち手として業界に入ってくる人も見受けられます。特にウラの業界ともなれば、決心も必要だったと思いますが。
下田 昔、ワシは普通の片田舎の電気屋のオヤジだった。それがなぁ、田舎だったもんで、人口が減少してしもうて、いわゆる過疎が進んでしもうたんじゃな。それまで細々と電気屋として暮らしていたワシも、客がいなくなりゃ商売も何もあったもんじゃない。カネもなかったしなあ。借金も膨らんでいて、当時は金利も高かったから苦しかったし。ま、背に腹はかえられないところがあったことも否定できませんな。』(笑)
パチンコとの出会いはその時期ですか。
下田 ですわな。電気屋をやっとった頃な。近所でパチンコホールが新規に開店したときに、その工事をやった。その台がどんなもんかという好奇心はあったわな。これがパチンコやパチスロの基板を見た最初だった。ワシも電気屋やっとって、コンピュータの知識は多少あったし、ある程度は分かった。まあ、似た作りでしたわ。それから暫くして、本屋でパチスロ関連の書籍を見たのですけどもね。買って読んだ限りでは、解析とは名ばかりの似て非なるものだったわな。驚いて出版元へ電話したら、「それなら台を送るから中身を見てくれ」というわけですよ。
そこから下田さんの「歴史」が始まったというわけですね。
下田 まあ、そういうとこですかね。それから何度か電話でやりとりした後、東京と広島では何かと不便ということもあってな、上京ということになったワケだわな。ちょうど経営が行き詰っていたこともあって、渡りに船でしたわな。夜逃げ同然で東京に出てきて、暫くは契約やら何やらの話が続いたけれど、とりあえずの生活が保障されてヤレヤレ助かったという思いをしたことをおぽえとりますねえ。
当時発売されていた雑誌というと・・・
下田 パチンコファンとパチンコ攻略マガジン。マガジンの方は創刊されたばかりだったな、確か。ワシ、両方廻ったよ。仕事欲しかったし。当時は基板を覗くという仕事がもの珍しかったようで、仕事がもらえたよ(笑)
その頃はまだ改造は手がけていなかったんですね。そちらの方面でのデビューのお仕事はいつくらいから始められたのでしょうか。
下田 んー。解析の仕事が一年くらい続いた頃だったもんかなあ。都内のホールからマガジンに仕事の話があっての。ニュービッグセブン(大一商会)だったかな、パンクしないようにしてくれというものだったな。それが最初だったな。それからというもの、いろんな人がようけ来よるようになったなぁ。名前はよう覚えとらんが、メーカーの人とかな。(笑)みんなお喋りを楽しんで、よく朝まで飲んどったもんだ。
ああ、楽しそうな様子が目に浮かびます(笑)実際、下田さんのような業界の重鎮を前にして私たちも緊張していたのですが、下田さんの屈託もないお話に人好きのする性格が見えて、引き込まれてしまいます。
下田 おだてても何も出んぞ(笑)まあ、そんなこんなで裏モノ関係のモンも来るようになって、自然と裏モノを作らないかという話になりますわな。当時はワシも法律(※風俗営業等の規制及業務の適正化等に関する法律(風適法):旧風俗営業取締法)とかよう知らんかったから、気軽に引き受けたことを覚えとりますねえ。主にモーニングでしたわな。朝イチでボーナスを揃えられる状態にしておくこと。まあ、当時は喫茶店のモーニングと同じでやってない店を探すことの方が難しい状況だったから、需要があったのでしょうな。店員が打ち込んでセットしておくことも出来るが、基板イジってセットしておく方が簡単だし。他にも「上乗せ(ボーナス確率はノーマル通りだが連チャン抽選を行うようにする)」、「貯金(後年ストック機能として合法的に登場)」、「吸い込み(後年天井として合法的に登場)」とかいろいろ作りましたわな。まあ、自分でいろいろ考えて作るのが好きだったな。こうしたらお客サンが喜ぶだろうってもんでな。
はい、下田さんのスゴイところはそこだと思います。パチスロの0号機から1号機の時代ですよね。下田さんが当時考えて作った裏モノの機能は、後年メーカーから正規なプログラムとして登場したワケですから。実のところ、打ち手に喜ばれたのはメーカーの正規のプログラムではなく、下田さんのアイデアがお客様に支持された結果でしたから。裏モノのアイデアが正規版に盗作されたようなものだと思います。
下田 この世界、パクリも何もやりたい放題だからねえ(笑)当時はメーカーの人間(開発)も、他社のプログラムの中身を知りたがっていたのが実情ですしね。人気機種の連チャンプログラムが直ぐに他社の機種に搭載されてしまうという話はよくあったもんだよ。
下田さんの代表作はコンチネンタル、ワイルドキャッツですかね。「注射」の販売で全国的に普及というイメージが強いのですが。
下田 ああ、ワシの代表作、というより、最も広く普及しただけともいえる。実のところ、注射プログラムのコピーを作ってくれという依頼で作ったものが、全国的に広まった。例えば、最初に『体感器』を作ったモンがおるが、そのひとりはワシだよ。機種は三洋のニューパニックだったかな。ストップボタンを使うヤツだね。隠すつもりもないが、逮捕された経験もある。二回ほど。1回目は機種はトロピカーナだったかな。4号機ユニバーサル (メーシー)の。著作権法違反容疑で千葉県警。2回目は2、3年前に沖縄県警の担当でな。ワシは別に潜伏もしとらんかったのに、一度は千葉県警がバスに乗ってやってきた。しがないたった一人のオッサン相手にな。これには笑った。一通りガタガタと部屋を漁り、調査した後、刑事さんは溜息まじりに言ったもんだ。「センセイ、あんたカネ無いね」「無いよ」ワシは笑ったもんだよ。
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